新現代を斬る・斜陽篇

政治と宗教のFC2版「余震と雑感」専門の雑文ブログです

スッキリ消化、藁の楯。

こちらのブログはなんだかアマゾンレビューのような映画評もどき、感想欄みたいになってしまったがこれもなりゆき上仕方がありませんw このブログは適宜FC2の補完役で行きます。今回は藁の楯、ネタバレです。予告編を見てあーまたまた俺が犯人役なんだ・・・みんな俺に死んでほしいんだ・・・とは思ったが山崎努さんの着流しが観られればいいや、と割り切って出掛けました。仕事明けの豊洲です。おいおい、日テレと講談社かよ、さぞかし私への恨みつらみが満載かと思いきや・・・いい映画なのでびっくりしました。様々な要素・テーマを詰め込んではあるが、伏線のみでぼやかすことなくきちっと片付けているので消化不良感はありません。華麗なるキャストですが誰も出しゃばっていません。漫画家の先生の原作なのでテーマが端的に象徴化されています。名匠(だと私は思うが)の技術でリアリティーを持たせています。イーストウッド西部警察の面白さが思い出されます。好きな人は劇場で見た方がいいです。男性向き?だと思います、女性はここまで来ると苦笑いするようです(他のお客さん)。狂気を通じて正気を描きます。私は心のもやもやが晴れて癒されました、スタッフ・キャストに大感謝、読売・講談社も見直した?って感じです。社会の現状はこの映画以下だとは思いますから、正気を打ち出したことに価値があります。上から目線の屁理屈を排した視点が秀逸・貴重です。大沢さんのインタビューでもそこが意識されているかのようです。観客が感情移入できる主人公が心身、特に神経戦の極限状況に臨みます。山崎さんと本田さんが出てますが、一見必殺を否定しながらラストで仕込のサービスカットが嬉しいですw これも山崎さんだから説得力がある、大沢さんの説得も筋が通っている。999とうらごろしのライターは同じ先生です。とにかくすっきりしていますが、これはバイオレンス映画です。濁りを極めることで浄化します。とにかく重いテーマが消化されたのはハイレベルな演技陣によるところが大きいです。藤原さんはいやらしさと正視可能を両立させた名演でしょう。松嶋さんは善悪で揺れるエリートの心理を滲ませます。岸谷さんと山崎さん、伊武さんもよかったです。このお三方も皆さん必殺関連俳優です。デ・ニーロ氏、菅原文太氏、三池監督と黒社会を描きながら生命の尊厳に行き着いてしまったのは偶然でしょうか、とにかく限定された層への映画ですが、いい作品なので是非劇場でご覧下さい。ついでに私を追跡探知するのもやめて下さい。私はこの位のテンションを映画に求めます。この映画の続編(SPは毎回殉職可)と三池監督による必殺劇場版SPなんかに憧れます。

受賞は当然、プレイブック!

シャンテでプレイブック観て参りました(ネタバレ含みます)、まず受賞したジェニファー・ローレンス、彼女は1990年生まれの筈ですがあの瞑い眼の色は凄い! 何と「あの日欲望の大地で」の放火魔のお姉ちゃんなのですね、この映画の彼女の境遇をブラッドリー・クーパーに移し変え、リトル・チルドレンも含めて建設的に持って行っているわけです。ゴッドファーザーやエニイギブンサンデーの要素も引き継いでいるのも嬉しいところw 彼女の受賞に賛否両論ありますが、私は最初から最後までティファニーに引き込まれました。全面的に彼女の意見に共感ですw ただ劇場内は中高年女性のお客さんも多く、主役の2人よりもデニーロ夫妻の親心の方に感情移入された方も多いみたいですね。ラストの恋愛成就では会場内にお通夜のようにすすり泣きが漏れました。欲望の大地でもそうですが、かつての日本人女性の抑えた感情に訴えるものがあるのかも知れません。私個人も小比類巻かほるさんの曲を聴いたり、阪神タイガースの試合を観に行ったりしてしばし憂世を忘れるわけですが、大義名分を取り払った庶民感覚を豪華キャストで描いているところがいいですね。愛情一杯なのに大博打をしたりいざ本番の直前にヤケ酒をあおったり・・・矛盾と理想がごった煮となったおかしくも切ない、そして愛すべき等身大の我々の姿がそこにあります。日常的なやりとりがリアルで、ここはトラック野郎に通ずる視点だと思いますが、こういう映画は私には充分に面白く感ずるのです。難をいえば前半の精神病という設定と、ラストの洗練された恋愛物の断続性ですが、この際そんなことは言いっこなし、エロいダンスの展開に手に汗握りました。やはりこの作品はジェニファー・ローレンスの背負った孤高とその愛の出口で、悩みを抱えるも気のいい仲間に囲まれているブラッドリー・クーパーと対照的です。勿論監督・音楽含めてスタッフ・キャストには大々感謝、この映画もいいか悪いかよりまず「大好き!」が先に来る素晴らしい傑作であることに疑いの余地はありません。以前バイトした居酒屋のビルからガイアが撤退してauとジョナになっていました・・・月日の経つのは早いもの。excelsior、コーヒー屋さんの店名はそういう意味だったのですね、ライトなタッチですが感動はずしりと確かな重量級、必見の作品です!

家系因縁と新興宗教

石坂浩二さん主演の「犬神家の一族」という映画がありますが、ラスト近く長女が仏壇に向かって拝みますね。「犬神」というのにトカゲみたいな図象が描いてあったりするわけです。要は「動物霊の精」ですから犬でも猫でもキツネでも蛇でもトカゲでも乱暴にいえば何でもいいんですね、そういう霊力を拝むわけです。鄙びた貧しい寒村に一軒だけドーンと裕福な一家がある、これはその村の主かあるいは何か「やっている」ということでしょう。村民の生活や経済状況なんてどの家でも似たり寄ったりの筈ですから。飢餓海峡三國連太郎さんでしたが、そういうふうに成り上がった家には努力の他に理由がある、嫉妬や風説も含めそういう指摘がされてきたと思います。このように大きな家系というのは土着の神さまを祀ったり、精力的なやくざ者が横暴を極めたり、被害者や悪い噂が絶えなかったり・・・といろいろワケありなわけです。で戦後そういう大きな家出身の子孫が上京して普通の市民として暮らしている。そんな普通の人がある日何かのきっかけに先祖帰りして昔実家の先祖が祀っていたような管狐か何か土着の妖気を帯びた自然霊を拝みたくなる―この無意識が働いて都会人が新興宗教に入信するということはあると思います。表面的には自分個人の問題ですが、何故妖しい新興宗教に惹かれるのかといえば、昔先祖が地元で拝んでいた信仰に関係がある。大きな家系だから因縁も色濃く、諸々の問題はあるも本人の経済力自体は決して悪くない。しかしそれを新興宗教に注ぎ込んでしまうわけです。まさに新興宗教との繋がりこそご本人の家系因縁そのものといえるでしょう。従って新興宗教自体に家系因縁の解決力はないわけです。民間の自然崇拝や妖しげな土着信仰の名残なんですね。

一律指導の落し穴

桜宮高校や女子柔道での指導の際における体罰の是非が論議を巻き起こしているようですが、個人的には体罰容認でも体罰禁止でも「一律指導システム」という概念の方に危惧を覚えます。そんなに文武双方に教育方法が理論・実践・技術とともに確立しているとは思えないからです。スパルタ指導でスイッチが入る人もいれば、声を荒げず手も挙げずで精神が安定し、ぐんぐん伸びる人もいるでしょう。ただ実社会でクセのある人に揉まれながら自分の理想を追求していく際に、全く非暴力と無悪意で教育されてきた人は人間的に足りない部分がないとも言い切れません。人間の一部分だけ切り取って抽出するというのは理論上のことでそういう議論も大事ですが、余り現実的ではありません。いろいろ不備のある環境で成長するしか道はないのではないでしょうか。要は精神の安定と集中には旺盛な気合を入れるやり方と静謐に努めるやり方があるわけで、指導者も含めて「両方出来る」「選択できる」バリエーションの幅があった方がよいと考えます。人の上に立つ人は自分の型とともにそれと相反する対極のタイプをある程度勉強して実践できるようにしておかないと、得意技が即弱点という落し穴を免れられません。優しい人は厳しい剛毅さを、厳しい人は柔和な論理性を常にどこかに心掛けるべきでしょう。

やっぱり「疑惑」がNo.1!

(今回もネタがバレバレ!)疑惑DVDをアマゾンで再発価格で安く購入しましたが、象印効果?wで売れているようです。個人的に清張・芳太郎コンビのベストワンはこの作品ですね。20年前レンタルで観た時には桃井かおりさんが真犯人で岩下さんが騙されたのかなあと思っていましたがw今回よく観てみるとやっぱりこの鬼塚球磨子は無罪らしいのですね。ただ悪女ホステスとして富山の社長をたらし込み、福太郎は息子を心中に誘いますが拒まれ、靴とスパナで退路を塞いで死のダイブを決行するのです。しかし悪運強い彼女のみフロントガラスから飛び出して生き残り、渦中の中無罪を勝ち取って自分の生命力と男たらしの生き方に一層自信を深めていくというところであのラストシーンになるのだと考えます。当初野村監督は砂の器のように冤罪を被せられた球磨子被告に同情的な結末を想定していたらしいのですが、原作者である清張氏が本篇のようなラストにと押し切ったようです。結果人間の業の深遠を垣間見せる名作となりました。ジュースの缶が挟まっていたのは謀略殺人だ!と思ったのは早計で、そんな偶然も知的に処理する岩下志麻さん扮する国選弁護人は四面楚歌の中鮮やかな勝利を勝ち取りますが、山田五十鈴さん桃井かおりさん真野響子さんに「冷たいイヤな女」と正面から言われます。こうした2人の対照性も原作者の提案と言われており、それで「脚色」とクレジットされているようですね。とにかく岩下・桃井・稔侍・鹿賀・柄本の主要5名の俳優さんの人気度は今なお高く、全員とも現役バリバリでテレビでのコミカルな要素も強いので、20年前に観た時ほど怖くはなかったのですが、やはり初めから最後まで画面構成がきちっと絵になっていて無駄がなく面白いのです。後半からラストに向けてどんどんテンポが上がっていきます。背景は日常の延長でどちらかといえば殺風景なのですが、配役の妙もあってまさにその点が個々の役者さんの素顔?wを引き出すのにも貢献していると思うのです。さらにリアルな見応え、秀逸な演技の臨場感につながっていると思います。柄本さんも全篇凛々しいのですが最後は残念・・・五十鈴さんと道頓堀川のように三味線を弾きたくなるくらいの無念さですw 象印の起用はいかにこの映画の人気が高いかの証ですね。仕事屋にもゲスト出演していた桃井さん、節分に引っ掛けて鬼塚、笑うとコワい球磨子(=顔の隈・・・人間の業)役の名演技でした。