新現代を斬る・斜陽篇

政治と宗教のFC2版「余震と雑感」専門の雑文ブログです

家系因縁と新興宗教

石坂浩二さん主演の「犬神家の一族」という映画がありますが、ラスト近く長女が仏壇に向かって拝みますね。「犬神」というのにトカゲみたいな図象が描いてあったりするわけです。要は「動物霊の精」ですから犬でも猫でもキツネでも蛇でもトカゲでも乱暴にいえば何でもいいんですね、そういう霊力を拝むわけです。鄙びた貧しい寒村に一軒だけドーンと裕福な一家がある、これはその村の主かあるいは何か「やっている」ということでしょう。村民の生活や経済状況なんてどの家でも似たり寄ったりの筈ですから。飢餓海峡三國連太郎さんでしたが、そういうふうに成り上がった家には努力の他に理由がある、嫉妬や風説も含めそういう指摘がされてきたと思います。このように大きな家系というのは土着の神さまを祀ったり、精力的なやくざ者が横暴を極めたり、被害者や悪い噂が絶えなかったり・・・といろいろワケありなわけです。で戦後そういう大きな家出身の子孫が上京して普通の市民として暮らしている。そんな普通の人がある日何かのきっかけに先祖帰りして昔実家の先祖が祀っていたような管狐か何か土着の妖気を帯びた自然霊を拝みたくなる―この無意識が働いて都会人が新興宗教に入信するということはあると思います。表面的には自分個人の問題ですが、何故妖しい新興宗教に惹かれるのかといえば、昔先祖が地元で拝んでいた信仰に関係がある。大きな家系だから因縁も色濃く、諸々の問題はあるも本人の経済力自体は決して悪くない。しかしそれを新興宗教に注ぎ込んでしまうわけです。まさに新興宗教との繋がりこそご本人の家系因縁そのものといえるでしょう。従って新興宗教自体に家系因縁の解決力はないわけです。民間の自然崇拝や妖しげな土着信仰の名残なんですね。