新現代を斬る・斜陽篇

政治と宗教のFC2版「余震と雑感」専門の雑文ブログです

パワーと怨念

まあ普通の人があこがれる超常能力、神通力といえばやはり読心・透視と念動力、この2つではないだろうか。新興宗教の修行、ヒーリングのパワー伝授、或いは大組織のオーラなどによってこのパワーが授かる人がいるのかも知れないが、その実効範囲は限定的である場合が多い。ところが不可思議な能力である故に、当人は無限の可能性を妄信してそこに踏み出してしまうパターンも多い。勿論どこかで従来の範囲に引き戻されるわけである。もう一点、こうしたパワーを恣意的に濫用する事で周囲の怨念を集めてしまうことも往々にしてある。これこそまさに実はパワーを得た時点から因縁の歯車が発動しているように思えるのであるが、周囲の怨念の度合いがある臨界点を超えると当人の運気が状態変化するわけだ。その結果運気が好転したりドボンしたりするわけである。世の中には本当にいろんな教えがあり、思えばその通りになるというのは先述したアストラル世界を考慮すればある意味当然なのであるが、同時に周囲の怨念も叶い易くなっている筈で、不可思議なパワーを行使できる反面、他人の思いの影響に過敏に反応したり、勿論怨霊の侵入を招いたりして普通にやった方が早道なんじゃないの、という顛末になることが多い。ちょっと怪しい霊能者でも相談者・依頼者に無断でその内容を当人を特定した上で他人に吹聴したりブログなどで公表したりすることはまずない。ヤクザが「あなたのこと何でも知っていますよ」と迫るのと同じで、これは常識中の常識、基本中の基本だからだ。こういうところも能力者における怨霊の関与の判別の手掛りとなるものだ。

善意のオネガイ

新興宗教も教団霊中心のものと怨霊中心のものとがあるように思う。教団霊というのは多数の集団を雰囲気で操る術を持っている。利己的な動機故のマッチ・ポンプな自己矛盾から結果が元の木阿弥、空騒ぎだけで進歩がない場合が多い。対して、この怨霊中心の宗教というのが前者に比べれば素人には一見高尚にみえる。勿論これは便宜的な区分で両者の要素が混在しているのが普通だが、何をいいたいのかというと、怨霊は自分の人間性に自信がある人に憑くのではないかという懸念があるからだ。つまりこの状況下では俗にいう「お前の心掛けが悪いんだ」という指摘が一見当てはまらない場合が多い。潜在意識を細密にほじくってここは傲慢、ここは自信と腑分け点検しても意味がないので、そうではなく感情的な「人間的・・・!」というセルフイメージの孕む危うさを指摘したいのである。こういう人は常にいい人であろうとして心掛けや手法の選択で自業自縛に陥っており、精神不安定のところに怨霊が付け込む隙がある。日頃悩み迷う人物がある時いきなり強い自信をもってコトを決行する、これは通常とてもよい事の筈である。当然それがすべて怨霊の仕業とまでは思わないが、怨霊の特徴として、他人に何か強く懇願する、こういう特徴はあるかも知れない。つまり善意を通じて他人を使役酷使するということだ。これが常識的な範囲や当然の配慮を著しく欠いている場合、そしてその結果がどこまでも実を結ばない場合には怨霊の影響が関係しているかも知れない。

世俗的精神世界

昔からなにかまじめな優等生に悪影響を与えるキャラがあってそれを想像すると心苦しいのだが、不勉強なボンクラの駄文・雑文なんだと思って読んでいただきたい。結局霊を扱う文章である以上、それなりの危険が伴うからである。真言宗の大本山複数、複数の霊能者に拝んでもらってようやく半人前の生活が遅れているのであって、相当私に憑いている怨霊は強烈である。しかも幼少時から宗教心が少ないので、「怨霊」という意識すら希薄であった。重要なのはまさにここが怨霊の真骨頂であって、怨霊はお祓いから当人の気を逸らすためならば、それこそ何でもやる。年末の紅白で美輪さんの熱唱が話題になったので、久しぶりに幻魔大戦のドラマCDを聞いてみた。美輪さんはフロイの声の担当であるが、この「アストラル」というのが霊幽界のことで、気功を経験してから不可思議な現象が日常化してしまっているのは、透視読心こそできないが、私がとっくにこのアストラル世界にすっぽり入ってしまっているからではないかと考えたのだ。複数の新興宗教世界に同時に邂逅するというのもこの理屈なら頷ける。もちろん地獄~仏の十界をエーテル・アストラル・メンタル・コーザル・ブッディのように2:2:2:3:1で配分してしまってもよいのであるが、ここは漠然と広範曖昧な意味合いでのアストラル、ちょっと低俗な精神世界、の意味である。

あ~無上!

前売り買っといたレ・ミゼラブルようやく観て参りました。空いている映画館でよかったです。BS日テレの紹介特番も観ました。平清盛風にいえばこの映画最初から最後まで画面汚いんですよw でも圧倒的な訴求力で爽快な感動を保証、全国民・老若男女必見の映画です。ミュージカルなんかわかんないよ~と正直抵抗があったのですが、暗く周知の内容がミュージカルという形式をとることで明るくスピーディーに、つまり見易くなっているわけで予告篇含めて約3時間の上映時間が長く感じません。ただインターミッション無しなのでトイレには行っておいた方がよいでしょう。

映画の評論はできないんですけど、ヒュー・ジャックマンの存在感はさすが、アン・ハサウェイは熱唱もあって彼女は何か受賞するのではないでしょうか。アマンダ・セイフライドは来日挨拶時にも抑えた感じでしたけど、私は彼女の演技にも感動しましたよ。

テナルディエ夫妻で脱線しますが、私子供の頃からああ無情を読むと、必ず「大草原の小さな家」のオルソン夫妻を連想しちゃうんですよw あのネリーと弟! 出て来ただけで血管ぶち切れる日本人は多いのではないかと想像します。私本気で父さんと友人のエドワーズさんがあの一家を猟銃で狙撃すればいいと思っていましたからねw 幸い牧師もいるんだし後日拝んでおけば後腐れもないw 

ジャベールは私一番好きなキャラなんですw グラディエーターのラッセル・クロウが演じたというところが隠し味で、この自殺シーン辺りから私に対する個人的な呪いというか何か恨み節が見え隠れするのですが・・・海外旅行ついでに麻薬の運び屋で稼いで下さいw あんたたちは完全にコルレオーネ一家だよw

子供の頃からパンを盗んだり蜀台を盗むジャン・バルジャンは鬼畜だと思っていました。本当に困っていれば「パンを恵んで下さい」とか神父さんに「お金を貸して下さい」とか頼めばいいだけの話でしょう。ジャベール警部ほど極端ではないですが、私も「この人は切羽詰まると犯罪行為で物事を解決する傾向がある」と判断せざるを得ません。完全に悪人だとは思いませんが、人格的に社会性が不足しています。

やっぱりマドレーヌ市長がジャベール警部と結託してテナルディエ夫妻を監禁・拷問して洗いざらい吐かせればよかったと考えますねw コゼットも解放され、市役所事務員となってメデタシメデタシw

日本アニメの影響はコゼットの唄はナウシカ、革命の唄はさよなら999、死後の世界はイデオンという感じでしょうか。石丸電気もエディオンになってしまいましたが、己に忠実に生きんがために盗みや変装、逃亡を続けるのはルパン三世ということでしょうか、東宝東和さんの配給ですw

まず神の愛を受けないと真の愛を知ることはできず、人間社会を信じても不毛である、結局神の愛を受けた者だけが救われる話です。革命の描写で戦乱闘争の空しさも描かれます。もうこれはスタッフ・キャストに大感謝で、この映画をきっかけに全世界で世界平和と全人類の救いが祈られるといいですね。普段映画を観ない人も含め、まだ観てない人は必見ですよ。

北のカナリアも駅もそうですが、私はこの映画も「面白い!」という感想の方が先行しました。感動したのはラスト、映画の見通す地平を示した場面ですね とにかく価値観は人それぞれ、みんな普遍の海の中で救われたと思えればいいんですけどね。

進歩と現実、国民参加

亀井静香さん、阿部知子さん、そして日本共産党は人気云々というよりも将来を予見した発言が当たっている場合が多いんですよ。これは競馬予想や占いとは違い、重要な要素だと思います。読みの方向性が事実や状況に即した、正しいことの証だからです。ただいずれもこれらの諸氏が提言する将来像は進歩的であり、みんなの党も含めて「本当に日本国民が現実についていけるのかなあ、実現可能かなあ」と思うのが正直なところです。だからその進歩と現実の狭間で自民党の采配に期待するのですが、軍事も産業もハイテク化が進んだ昨今、「国民参加」が進歩と現実にどれほど参与できるのかは正直悩ましい問題です。